越えられない学歴の壁の話

ちょっと前から、ネット上で学歴の壁の話が盛り上がっていました。

交わることのない学歴層 - 金田んち

上記のブログなんかが、綺麗にまとめられていて読みやすいんじゃないかと思います。低学歴の側から高学歴の世界が見えないように、高学歴の世界からは低学歴の世界は見えない。でも、世の中を動かす政治家などは高学歴の住人ばかりだから、底辺層の生活なんて見えないんじゃないか。そんな状況で舵取りしても、うまくいかないんじゃないか。ということです。

階層の固定化なども問題視されるようになって久しいですが、止めようのない現実なんじゃないかと思うんです。

人がどんな価値観を抱くようになるかという要素において、「環境」が一番重要です。ある喩え話に「日本人の両親から生まれた赤ん坊を、アメリカに連れて行ってアメリカ人に育てさせたら、その子は果たして日本人なのかアメリカ人なのか」というものがあります。

英語しか話せない、行動様式も、食習慣もアメリカ人、だけど見た目だけ日本人の人を、果たして日本人と呼べるのか。少なくとも私は呼べません。アメリカ人だと思います。
人は育った環境によって如何様にも変化する生き物です。

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では、日本の社会に置き換えて考えてみるとどうでしょうか。いわゆる「低学歴」と呼ばれる人たちは、高卒や中卒で働き始めています。「勉強は必要ない」「勉強をしなくてはいけない意味が分からない」そんなことを考え、また両親から言われ育ってきています。そして、自分が育てられたのと同じように、子供を育てます。

「勉強なんか必要ない」「勉強だけがすべてではない」

こうやって言われ育てられてきた子が、「勉強をしたい」「大学に行って学びたい」なんて考えるようになるようでしょうか。ならないでしょうね。
仮に「もっと勉強がしたい」なんて言おうものなら、親から「そんなの必要ない」と一蹴されるのが目に見えています。だって勉強をしなくても、今ここで自分は生きているのだから。


反対に「高学歴」に属する家庭はどうでしょうか。幼い頃から勉強は大事だと言われ続け、偏差値という競争の中に身を置き、大学を出るのは当たり前。大学のランクで自分のランクを位置づけする。そして良い会社に就職し、お金を稼いでいく。

そういった人たちは「上には上がいる」ことが身にしみて実感できているので、自分の子供にはいい思いをさせたい、楽な人生を送らせてあげたい。そんな気持ちから「勉強の大切さ」を、幼い頃から仕込んでいきます。

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共通するのは「どちらの世界の住人も、他の世界のことが見えていない」ということです。もちろん私も片方の世界のことは、見えていません。

しかし、両者の世界が交わったところで、果たしてそこに現在の世界を変える何かがあるのか、と問われたとき、「ある」と断言できないです。

田舎の小中学校では、ふたつの世界は、まだ分断されていません。その片鱗がちょこっと見えるだけでした。
その片鱗に少し触れただけにも関わらず、ふたつの世界の住人に分かれていく人たちは犬猿、水と油のような存在でした。決して交わらない。交わろうとしてもうまく馴染めず、何かがそれを阻む。

きっと、それは生後約10年という年月の間に、その人が生きてきた環境が、完全に根付いてしまっていたからなんだなと思います。そして、その差が埋められないものになってしまっていたのだと思います。

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学歴で分断される世界は決して交わらない。そしてそれは環境によって大きく左右される。これは動かしがたい現実ですが、そもそも生まれ持った「運」によってその後の人生が左右されてしまうのも、なんか酷な話だなと思います。

どっちの世界のほうが幸せなのかは分かりません。わずか2.3際の幼子が、自分でどちらが良いか決めることもできません。
生まれ持った「運」の要素によらず、人生を選択できるような環境を作ることができないか。

そんなことを思いました。