確かに僕等は戦争を戦争を知らない

確かに僕等は戦争を知らない

平成生まれの自分にとって、戦争というものは縁のないものだ。これまでもそうだし、これからもできれば無縁でいたい。

戦争は悲惨だ。二度と繰り返してはならない。

そう教えて育てられてきました。いや、そう教えられてきたと思わされていたという方が正しいかもしれない。


日本は侵略戦争をし、日中戦争、太平洋戦争を経て原爆を落とされて、ポツダム宣言を受け入れ、天皇が玉音放送を流し、戦争に負けた。歴史の教科書はそう言っているけれども、実際、当時の日本において、大衆世論はどんな感じであったとか、本土空襲が始まる前の銃後の人々の暮らしだとか、そういうものを、何も教わっていない。もちろん、学校の試験にはそんなものは出ない。だから学ぼうとしてこなかったし、学ぶ必要性すら感じてこなかった。

学校を卒業して、いろんな情報を見るようになって、「'あの戦争'に対する認識」に感じる違和感を、一冊の本によって、変えられたような気がします。


戦勝国が紡ぐ'あの戦争'、ヨーロッパで行われていた'あの戦争'、中国や韓国の'あの戦争'、それぞれ「'あの戦争'はこの国にこういうものをもたらした」というのが、国家の物語としてきちんと紡がれていた。国立の博物館として、どう残していくか、どう表現していくか。でも日本には、「国家の物語」はない。どの博物館に行っても最後は鑑賞者に問いが投げかけられて終わる。「未来を考えて行きましょう」と。


だから僕等は戦争を知らない。


中学2年生の夏を思い出す。夏休み直前、「平和を考える」という授業があった。担任が僕等に向かって問う。

「'あの戦争'についてどんな事を思いますか?」

クラスは静寂に包まれた。何も知らない、経験したことない、だから分からない。そんな空気が流れていた。しびれを切らした担任が指名して言わせていく。「分かりません」「特に何もありません」......自分が指された。「何もありません」

「お前ら!っざけんじゃねーぞ!!」「何もないってなんだよ!家に帰って祖父母に電話するなりして戦争について聞いてこい!!」


家に帰ってけだるい気持ちを抑えつつダイヤルを回す。祖父に繋がった。「戦争について訊きたい」と尋ねると、声のトーンが一段下がる。そして、戦後の復興についてポツポツ話してくれた。勤めていた会社の工場が、戦争で一気に軍需化したこと、あの夏は暑かったこと、海水を蒸発させて塩を作ったこと。どれもが教科書には載っていない話だった。でも同時にどこかで思う。『これは経験した人にしか分からないだろうなあ。いくら話を聞いたところで、'あの戦争'もあの夏も、表面上しか知ることはできないだろうなあ。』と。


翌日、それぞれが聞いた話を発表する。「…なので、戦争はいけないと思いました。」すべての人がそうまとめ、その度に担任が頷いていたのが印象的。でも当時の担任に訊きたい。「もし戦争を肯定する話が出てきたら、あなたはどうしたの?」



今思えば、自分が唯一聞いた「小さい記憶」がこの時の祖父の話かもしれない。戦場に行くこともなく、銃後の人間として暮らしてきた祖父の語る戦争。苦労話は印象的だとは思ったけど、悲惨だとは思わなかった。街はそこまで破壊されることもなく、親戚や知り合いも数人程度しか犠牲になっていない。戦後の前向きな話を中心にする祖父を見ていると、戦争で凄惨な目に遭うのは、どこか遠いところに住む誰かだけなのかもしれないとも思う。

そして、そんな話も伝聞でしか聞かない自分は、さらに遠いところにいると思う。

でも、それはなんら悪いことではないと、おもう。2001年の出来事も、最近よくニュースになっていることも、どこか遠い世界の話のような気がする。それが、平和の中で住んできた自分の価値観なのだと思う。たぶんこれはもう覆らないと思う。

今は2013年。1945年に生まれた人は68歳である。もはや戦後ではないどころか、戦争世代の孫達の時代である。国家として戦争を残してこなかった日本において、「平和を基準にした歴史観」をつくってもいい頃合いなんじゃないか。だって僕等は「平和」しか知らないんだから。中途半端な態度を取りつづけたから、今も呪縛から逃れられていないんじゃないだろうか。

そんなことを思った2013年・夏

誰も戦争を教えてくれなかった

誰も戦争を教えてくれなかった