求めるモノ

求めるモノ

この記事は移転前のブログで2012年1月18日に書いたものです。

ある人の言葉を借りるなら

「豊かさとは多様性だ」

という。私は非常にこの考え方に近い考えを持っている。例えば、ある集団の中である特定のグループができるとき、それは非常に似通った人たちが集まってできる可能性が高いと思う。似たような考え方に惹かれ、似たような価値観の中で肯定しあい、似たような方向性で進む。
その価値基準から逸脱してしまったがために、グループから抜けざるを得ない状況に追い込まれた人を見てきたし、自分もその立場に立たされたことがある。



自己啓発系の本をパラパラめくると「自分の信念を持つ」「ブレない自分をつくる」などという言葉をよく目にします。とても聞こえのいい言葉だと思います。そして正しくもあります。ただ、残念なことに、これらの言葉を間違って飲み込んでいる人たちもいてしまうんですよね。戒めの意味を込めて。

ブレない≠他を認めない

先日、某ITの波の中で匿名同士で言い争いをしていたのですが、自分も相手も、相手の意見をまったく聞き入れずに持論を展開し、平行線を辿ってしまいました。言葉選びがお互い良くなかったこともありますが、というかそれがほぼ100%の原因で、相手を認めることができなかったんです。事が終わってから冷静に考えたら、このプロセスと帰結は自分が望んだものではない、もっと違う道があったのではないか?と思いまして。戒めを込めての今回の記事です。


何かを話すとき、相手の言動の裏にある根拠、価値感はどこにあるか、というものを最近意識するようになりました。言葉尻を捕らえて、ただそれだけに反論しても、相手には何に反論されたのかは伝わらない可能性が高い。もし、価値観がすべての事象において正反対の方向ならば、関係が切れてもやむなしと思っていますが、一番切るべきでない関係だとも思います。たとえそうでない場合でも関係を切らすのはもったいない。思わぬところから良い情報を得られるかもしれない。その可能性は手放したくない。


そこで豊かさとは多様性という話に戻ります。もし、自分と違う方向性の価値観を持っている人たちを排除していったらどうなるか…。それはそれは居心地の良い空間が出来上がるでしょうね。自分と似たような考えの人がいて、自分と似たような考えの人たちと言葉を交わす。ストレスフリーな生活がやってきます。

私はそういう空間が非常につまらないものと考えてしまいます。そんな魚の養殖場みたいな生活は耐えられません。いろいろな価値観を持った人と同じ空間にいて、ある場では同じ方向の言葉を発し、ある場では反対を向きたい。違うセグメントの人から得られる話で自分の思考の幅を広げたいと思うんす。
ただ、これを続けようと思ったら、非常に莫大なエネルギーが必要。子供の頃に怒られるのが憂鬱だったように、「何故」が分からない、根本的に違う価値観の話を聞くのは体力を使うし憂鬱になってしまいます。それをどう乗り越えて、いろんな価値を吸収していけるか、ですね。


でも、ま、「生理的に無理」という言葉があるように、無理なもんは無理だけどねー(笑)
無意識が無理って言ったら、それはもう無理なんだろう。これは理屈じゃ表せんな。じゃ!