帰納法と演繹法

演繹法と帰納

この記事は移転前のブログで2012年1月27日に書いたものです。

思考法を考えた時にこの2つが大きな枠になると思います。

演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法です。
有名な方法として、大前提・小前提・結論による三段論法があります。

人間は死ぬ

Aは人間

Aは死ぬ

といった感じです。
一方で帰納法とは個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く方法です。

人間Aは死んだ。人間Bも死んだ。人間Cも死んだ

人間だから死んだ

人間だから死ぬ

このような形です。上記の二例はどちらも人が死ぬ事を証明していますが、出発地点が真逆の方向にあります。もちろんどちらの方法も長所と短所があります。

演繹法の利点は、前提をもとに推論を作ることによって、今はまだ起きていない事象について考えることができます。
欠点は、正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがあることです。
先入観や偏見に基づいた間違った前提を適用してしまう場合や、ある限定された範囲でのみ正しい前提を全体に適用してしまうような場合などがそれにあたります。

帰納法の利点は事実から連なる因果関係を示しているので求められる結果はその事例においては正しいということです。
欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明をしない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、ある程度の確率を持ったものに過ぎないことです。(故に帰納法は帰納的推理ともいいます)
事例の集合が不完全である限り、いくら事例をあげても、それは正しい確率が高いものにしかなりません。
全知全能ではない人間の認識の限界が帰納法の欠点となります。

このように演繹法と帰納法ではアプローチのかけ方やチェックする場所は違うので、理想的には相互補完の形で運用したいところです。


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さて、これを就活に当てはめてみます。

私はこれまで○○と△△と□□の経験をしてきた。
↓(帰納法)
だから私は☆☆☆が好きである。
↓(演繹法)
なので御社で××××の仕事をしたい。

基本的にはこんな感じでしょうか?では何故「こんな仕事をするはずじゃなかった。」「本当にやりたい仕事はこの会社じゃできない」などという言葉が出てくるのでしょうか。
よく「企業分析が足りない」という言葉を耳にします。それで学生が企業分析に躍起になるという話を聞きます。本当に企業分析のせいでしょうか?

企業理念や求める人物像だけでなく財務諸表や社内制度の細かいところまで、先輩社員に何度も話を聞き、メチャクチャ企業に詳しくなって、具体的なビジョンを描いて希望を持って入社した新入社員がすぐに辞めていくという状況が起きるのは本質を見失っているからではないでしょうか?


上記の企業選びのプロセスにおいて、思考法の部分が間違っているのではないでしょうか?

帰納法は事例の集合が不完全である限り、いくら事例をあげても、それは正しい確率が高いものにしかならない。
演繹法は正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがある。

20年の人生で経験できることなんて、まして学校制度という中で経験できることなんてたかが知れています。そんな不十分な事例から導きだされた前提が正しいという確率は如何ほどでしょうか。その前提に固執して職を探して、マッチする会社は見つかるでしょうか。
就活に'失敗'する学生はこういう所について考えたことはあるでしょうか?


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個人的には演繹法は苦手でしょうがない。正しいか分からない前提に頼って推論を展開するのは気持ちが悪い。就活をやる身としてはそんな甘っちょろい事を言っている訳にはいかないんでしょうが、就職というイベントは帰納法の事例集めの一例にしか過ぎない。そんな気持ちを持ち続けるでしょう。最初に就職した企業で一生を過ごそうと考えている学生は、今の時代、本当にそんなことができるのかを考えた上で、今までの人生の倍以上の時間をそこで過ごす覚悟があるのか、果たして「本当に自分はこういう人間だ」というのが正解なのか、もう一度思い直してもらいたい。本当の意味でマッチしているかなんて、中に入らないと分からないと、私は思いますよ。