就活:シューカツ

就活:シューカツ

この記事は移転前のブログで2012年4月13日に書いたものです。

先日、友人から内定を貰ったと連絡があった。

おめでとう!

しかも第一希望の企業だったらしい。努力の結果が実った、来春からやりたいことができるようになることを切に願います。


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4月も半ば。超大手企業はそろそろ内定を出し終わる頃だと思います。来春からの進路が決まった学生。そうでない学生。公務員試験、院試験にシフトした学生。いろいろな人がいると思います。どの学生も来春に笑っていられるように進むしかないですね。



さてさてこんな事を書いている私ですが、内定はおろか最終面接さえ行ったことがありません。

数社程度なら縁や運の問題だけど、10社以上続くとなにか理由がある

こんな事を聞いたことがあるので、ちょっと本題ではありませんが今までの振り返りも含めてまとめを。

エピソードの主軸は「カジウラー的活動」「サークル」「アルバイト」
それに共通する軸はできてる。
ただ分かりやすい言葉にはなっていないと思う。
他人からの評価を含めて、自分の視点以外の観点から自分の行動を分析することが足りていない。
全体的に企業のことを知らなさすぎる。御社の~の仕事で自分の~の強みが、ってのが言えてない。
面接時の笑顔はできてる。面接前にトイレで必ず鏡に笑顔を向けてる。
結論を先に、が出来てる時と出来ていない時がある。
具体的なエピソードでは、事象→仮説・根拠→行動、という流れで話せているか?

今後に向けて
一番足りないのは企業を知るということ。兎にも角にもそれ。仕事に自分の強みをどうやって活かせるか、を言う。

本当にこういう結論でいいのか?分からない。でも自覚してるんだから、やる。

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本題に入ります。頭の整理のためにブログに書いているわけですが、焦りというか、敗北感というか、よく分からない感情に支配されて朝から涙が止まらないわけですね。あっちで不採用こっちで不採用。そっちもどっちも不採用。完全に下手な就活のスパイラルです。人生の99%は自分の思惑と反対に進むと思っている自分でも、結構堪えます。「就活はある程度以上は運と縁」打ちのめされて初めて分かる【勝者の論理】だということ。そんな気持ちも出てきました。

日本の産業構造上、新卒で入った企業で今後の人生が決まってしまう。
その新卒採用は日本の文化だからこそ生まれたひとつの正解だ

頭では違うと分かっていても、自分自身でそれを覆したような人を見ていないから、どうしても【世間の常識】に引っ張られてしまいます。その常識に「おかしい」とは思うのですが、しかしどうあるべきなのか、明確なあるべき姿が分からないから、声を上げることもできません。



ところで自分は運が良い方だと思います。特に命に関わる事態は絶対に陥らない、そんな自信があります。

数年前、峠道で無茶な運転をして対向車と正面衝突しかけたことがあり、刹那、本当に死を覚悟しました。結果的には無傷。車もぶつからず、同乗者も無事でした。きっと自分は命に関わる事態に関しては強運の持ち主だ、そう直感で感じました。
それ故に、その他の部分での運は人並み以上の努力をしないと引き寄せられないと思っています。では、何事にも人並み以上の努力はしてきたのでしょうか?答えはNOです。こと就活に関しては、やればやるほど「茶番」という感じがしてきて、本気になれない自分がいます。社会に出たら自分の思惑と違うことでもやらなきゃいけない場面なんて腐るほどあるのにも関わらず。

長い目で見ればきっと今のこの感情も、自分にとってプラスになるでしょう。何事も自分で経験しなければ分からない。だから内定が出ない人の気持ちは内定が出ない人にしか分からない。大学は就職率を上げることで地位向上に繋げたいみたいですが、どうも無い内定者と大学側でも認識のズレがあるのではないか。そんな気もしてきました。もちろん裏は取ってないので私見です。


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ちょっと感情論がすぎましたね。数字・ファクト・ロジックがなっていません。まあ個人ブログだし感情論が出てしまうのは許容範囲内としましょう。

こんな中でも唯一心が落ち着くことがあります。それは…

ライフネット生命の重い課題

これに取り組んでいる間は非常に集中できるんです。きっと一番入りたい会社だから一番取り組めるんだろうと思います。しかし現実は甘くない。ここだけ受けて通るなんて甘いことは起きえません。だからこそ現実を、今を見てまずはひとつの内定。

書いているうちに心も落ち着いてきました。では