焦点をを外に合わせるか内に合わせるか

焦点をを外に合わせるか内に合わせるか

この記事は移転前のブログで2013年3月14日に書いたものです。

世の中には「○○だからできない」「○○したいけどお金が」「○○(自分が所属するもの以外)はもうダメだ」などという言葉が散見されます。実際そう思います。例えばMBA留学体験談を読んでも留学費用を調べれば目が点になり、外資系金融機関で働きたいと思っても面接で受からなければ入れません。公務員はずるいと声高に言っている人に「公務員になればいいじゃん」と言うのはいいですが、言ったところでそういう人には公務員になれる実力がありません。

そのような言葉がはびこるのは、結局のところ「自分には関係ない」という疎外感を感じているからなんですよね。

「(どうせ自分には面接で受かる実力がなくて経験し得ないことだから)やっぱ外資はちゃんと評価がしっかりしているんだ」「(公務員になれる実力がないけどあいつら安定してて生産性ないだろうから)公務員なんてけしからん。給料下げろ!」というように。


これは非常に問題です。


上記のような人たちは、常に自分たちが所属しているコミュニティの外に何かを求めています。手の届かない場所にある何かが素晴らしいものだと思ってる、と言い換えても過言ではないと思います。

このような人たちは、何かを変革させるのは一部のカリスマリーダーであり、自分ではないと(無意識のうちに)思ってしまいます。自分たちは日々のルーチンをこなす、もしくはルーチンの効率化を図るだけで、抜本的な構造の改革には無関心です。そういうことは、リーダーシップを持った一部の人が変えてくれるだろうから。

国民に当事者意識がないから総理大臣は1~2年に1回すげ替えられるし、トップが替わったところで生活レベルでは何も変化が起きません。そして、自分は悪くないと言い訳をします。外部に原因を求めることで、安心感を得られるから。



そうやって【安全な場所】【安定した場所】に逃げ込んだ人たちは、いざトップが変革を求めてきたときに「こんなん俺らの望んだことじゃない」といって抵抗します。多勢に無勢、生半可な能力では数に押し切られ改革はうまくいかず、いい方向に向かいかけたものが元の木阿弥となってしまうのです。


人間は手の届く範囲しか変えられないし、手の届く範囲を変えることでしか暮らしを良くはしていけない、満足感を得ることはできないんです。今目の前にある仕事、勉強、趣味、何が一番大切なものかは人それぞれ違うでしょうが、目の前にある何かを自分の手で動かすことから始めましょう。ダメだと思ったら逃げ出せばいいし、環境を替えればいい。目の前のことに対してダメだと思えるまではひたすらに全力投球を続けよう。それが遠回りに見えて一番の近道なんですよね。