公的なセクターで働くということ

公的なセクターで働くということ

今年は4月1日が月曜日。土日休みの企業において、新入社員の皆々様は最初の週から5日フルで働くということになります。お疲れさまです。


そんな中、私も1日付けでとある公的なセクターで働き始めることとなりました。いくつか気になった点があるので、「1日で何が分かるんだよ!」というツッコミを受けることとは思いつつ、直感を書き綴っていこうかと思います。



1.公的機関は目的の統一化が難しい

民間企業では、利益を最大化するという分かりやすい目標があります。顧客満足を得ることも、経費を削減することも、作業を効率化することも、全ては会社の利益の拡大というひとつに収斂します。何か問題に直面するたびに「これは会社の利益に繋がるのか」という問を投げかければ、議論の余地はあれど答えは導けます。

では、公的機関ではどうでしょう?公的機関は利益をあげることが目的ではありません。たいてい「国民の利便性」や「地域住民の利便性」とか言われます。一見目的がハッキリしているようですが、十人十色という言葉があるように、何が利便性向上になるのかという議論は価値観と価値観のぶつかり合いになります。時には省庁や部署のバックグラウンド(たいてい民間企業)の損益が公的な場で争われるという事態に発展します。
奉仕対象全体(省庁ならば国全体、県庁・市役所なら県・市)がよくなるためには、何を優先して何を切り捨てるのか、それを全体で一致させることが最重要だと思います。なお、選挙で選ばれる政治家には、やはり票田となるバックグラウンドが存在しますので、トップが変わるたびに優先順位が変わってしまい、長期的な視野を持ちにくいという問題点も発生します。このことについては考えがまとまれば、またいずれ。


2.再雇用義務化による影響
組織体系がしっかりとしていることもあって(組織体系自体の良し悪しは置いておく)、配属された部署には若手から中堅、ベテランや再雇用によって退職後に戻ってきた人と、年代のバランスが取れていました。そこで感じたのは、30代以下と思われる人たちと、60前後の人たちとのスピード感の差がとてつもなく大きいということです。
中堅以下の年代の人たちは、自分自身の仕事をテキパキとこなしつつ、隙を見つけては新人に声をかけ、というのを休みなく行なっていました。一方で60代前後の人たちは動作ひとつひとつがゆったりとしており、新人に声をかけるタイミングも、別の人が何かを説明しているときに同時であったりと、なにかと無駄が多いように感じました。

今30代の人たちが上の地位につくのが15年20年先だと考えると、公的機関の効率化は政治の力でトップダウンでやらないと非常にまずいと感じました


3.ひとつの民間企業に依存できない体質
公的機関というものは、一にも二にも公平性というのが重要視されます。備品ひとつとっても、複数の店舗に見積もりを依頼し、その結果を踏まえて発注するという、非常に時間と手間のかかる方法を取っています。もちろんそれは店舗ごとの競争を促す上で大事なことだとは思いますが、それを日常レベルの備品にまで適用したら、発注・決済業務に時間を取られ、本来やらなければいけない仕事を後回しにしてしまうことが容易に想像出来ます。

目まぐるしく環境が変わる昨今、小さなものにまで公的機関の公平性を適用する必要はないのでしょうか?それより他のところに重点的に力を入れ、別の大きな価値を生み出すべきではないでしょうか。



以上が1日で感じたことです。あくまで直感によるものなので、実態は違うかもしれません。ので備忘録的な意味を込めております。

個人的には「ここは金を稼ぐ場ではない」という雰囲気を肌で感じ取ってしまったことに危機感を覚えます。いくら公的機関は'他者を儲けさせるもの'であれ、すこし物足りなさを感じてしまいました。公的機関は「奉仕対象へのサービスの向上と税収の増大・支出の削減を同時に達成しなければならないもの」だと思っており、儲けを得る対象が違うだけで民間と変わらないものであると信じています。
そのために、投下資本利益率というものは、(利益が出ない機関ではあるが)きちんと目に見える形にしなければならないのでは、と思いました。

なお文中の意見はすべて筆者個人の考えであります。