合理的に行動しないからこそ仕組みが必要

合理的に行動しないからこそ仕組みが必要

日本では、原発を止めることによって、年間3000人程度亡くなる人が増える。

今の原発をなくせという世論からしたら信じられないかもしれないことですが、データに基づいた分析から得られた事実です。

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

金融日記で一部の人達にカリスマな藤沢数希さんの著書です。書かれたのは2012年2月。東日本大震災からおよそ1年後です。その頃は反原発の風潮は今以上に大きかったと思います。それでも、きちんとしたデータを使い、分析すれば、原発は稼働させておいた方が、コストの面でも、犠牲者の数も、原発を止めるより良い結果を招くのです。


しかし、多くの日本人はそんなことを言われても信じないでしょう。仮に原発を稼働させた方がいいと分かっても「俺の周りには原発を作るな。作るなら何かあっても俺に被害がないところにしろ」ではないかと思います。そしてそれは「東京の電力を賄うために関東でない福島が犠牲になったのだ」なんていう文を掲げた反原発運動に繋がります。


この構図ってどこかで見たことありませんか?

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「今の自社の経営状態はマズい。経費削減せねば。事業縮小か給料削減か。」

「そうだそうだー。給料削減するなー。無駄な事業はやめろー。」

「よしわかった。じゃあAという事業を全面的にやめて…」

「ちょっと待ってください。Aは社会的にも有用な研究ですし、成功すれば我が社の知名度も飛躍的にアップします。」

「む…そうか。ではBという事業を…」

「ちょっと待ってください。Bは……」

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というのは冗談ですが、国単位でも企業単位でも、全体が目指すべき方向は明らかなのに、国民や従業員がそれを知らないで頓珍漢なことを言ったり、全体の方向性は分かるけど、いざ自分たちに不都合なことがあると全力で拒否したりと。


ではそんな時、合理的な道に進むにはどうするのでしょうか。

企業は簡単です。株主総会があります。そこで正しい道に進める経営者を選べばいいことです。もし持ち株比率等で、ちゃんとした道に進める経営者を選べないのであれば、その企業は廃れ、やがて潰れるだけです。



では国はどうでしょう?

企業との大きな違いは従業員≒国民が投票権を持っているということですよね。例えば反原発の風潮が高まる中で逆の事はなかなか言い難いです。まあ、反原発だけで選挙に挑んで玉砕した政党とかもありますが、あれは例外で。


それゆえに、主権者が正しい知識と判断能力を持っていなければ悪い方へ悪い方へ進んでいくのが民主主義です。合理的とは思えない判断の繰り返しで、ゆるやかにダメになっていくのです。

まずひとつは、そういった正しい知識と判断力を養えるような仕組みが必要です。今の学校教育のような「決められた答えを正確に速く解く」方法から「不完全な情報から必要なものを取り出して先につなげる判断をする」方法に比重を置いていかなければなりません。もちろん前者の教育も大切ですが、義務教育で9年間学んだあと、さらに高校大学と7年間同じように答えを探す教育は必要なのでしょうか?

次に国民の暴走を止める仕組み。今の選挙制度では政治家の生殺与奪の権利は国民にあります。それは間接民主制を取る国ならば当然のことなのですが、今の日本国民は「自分たちで政治家を選んだ」という意識が少なすぎます。自民党の低迷ぶりに呆れて民主党が政権を取ったらとんでもない政治をするので、愛想を尽かして自民党に返り咲く。その流れの中で、政治家を責める声は数多く聞きましたが、政治家を選んだ有権者への非難の声はほんの僅かしかありませんでした。そういった無責任民主主義を防ぐための抑止力を考えなければなりません。

国民・政治家・第三勢力で都合よく三つ巴になればいーのに(笑)


そんなわけで、民主主義は過去存在したすべての統治の方法よりマシですが、放っとけば悪い方向へ落ちていく統治方法なので、その中にいる人はもっと仕組みを考えなければいけないよというお話でした。