数理の力は人を救うのか

6/29(土)の深夜に放送されたニッポンのジレンマという番組を見ました。テーマは「~数理のチカラ、僕らの未来~」というものです。
番組サイトはこちら http://www.nhk.or.jp/jirenma/index.html


さて、今回は「数字」というものがテーマの中心に据えられていました。昨今、ビッグデータなんて言葉が流行っているように、数字にはある種「未来を良いものに変えてくれる」ような期待感があるのかもしれません。


結論から言うと、番組後半でバッサリ上記のような期待は切り捨てられています。

「テクノロジーは、物事を理解するために役に立つけど、結局は人の価値判断に決定される」

というような主旨の発言だったと思います。これは本当にそうなんですよね。例えばコップの中に水が半分入っている状態を見て「まだ半分も水がある」と思う人もいれば「もう半分しか水がない」と思う人もいるわけです。
物事が複雑になればなるほど、いくらデータを使って状況を把握しても、Aが大事だという人やBが大事だという人、逆にAなんか必要ないと感じる人。様々です。

だから方向性を定めることや、仕組みを作ることは、データを解析する前にやるべきことだし、重要なことなんですね。



しかし、新しい仕組みや、制度を作ろうとすると、必ず逆風が吹いてきます。新制度のせいで自分たちの利益が損なわれてしまう!と感じる人がロビー活動やらネガティブキャンペーンやらをしてくるんです。今回の討論の中にも出てきました。

「すべての可能性は潰すことができる」

論客達はこれにこう続けました。

「だから失敗を許さない風潮より、失敗を許しそこから成長するような風潮の方が絶対良い」
「アメリカが全て良いというわけじゃないけど、アメリカのように学生に『挑戦しろ!失敗を恐れるな』と刷り込みのように言い続けたらいいんじゃないか」

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では日本がこのような風潮を持つ国になれるのでしょうか?

私は難しいと思います。それこそ三世代くらい世代交代しないと。番組の中で人口統計について触れていましたが、グラフを見れば一目瞭然、人口の比率が一番多くて、一票の価値が大きいところに住んでいて、さらに若者の投票率が少ないとなれば、今の日本は高齢者が力を持っているのが分かります。高齢者として一括りにするのは乱暴かもしれませんが、国の存続に関わる「若年人口」を増やすための施策(例えば待機児童対策)が、"自分"になんの利益ももたらさないと知っていれば、果たして推進するでしょうか?


こういった現実があるからこそ、特に若者にはきちんと「数字」に触れてもらいたい。この現実を見て何を思うかは人それぞれですが、現状を知ることで取れる選択肢は増えるはずです。その選択肢は海外に出ることだったり、起業することだったり、支出を減らして小さく過ごすことだったり、古き良き企業に就職することだったり、選ぶ先は自由です。それでも、自分のアタマで考えて'主体的に選ぶ未来'を実現して欲しいと思います。


はっきり言って、ハードルは高いです。…と自分は思っています。しかし、世の中にはこういうオルタナティブな生き方に何もハードルも感じずコミットしている人もいます。その違いは「一歩目を踏み出せる環境があったか否か」だと思います。環境があったというと語弊があるかもしれませんが、要するに周囲に古き良き時代を受け継ぐ人ばっかりいるとその考え方に感化され、逆に違う生き方をしている人が周囲にいるとその生き方に感化されるということです。

個人の意志や目標よりも'環境'というものは往々にして重要です。高校野球なんかそうでしょう。強豪校には強豪校の'空気'があり、その'空気'に魅力を感じて実力者が入学してきて、実力者同士で切磋琢磨して強豪校の'空気'を作り出す。

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それゆえに、上で書いたような「失敗を糧にするような空気」を作り出すことができれば、今現在多くの人に共有されている「日本の空気」は変わるかもしれません。それはひとつのキッカケに過ぎないかもしれませんが、そこから何かが変わっていくと私は信じています。その空気を作り出すためには、一人ひとりの行動がなければいけません。逆説的になりますが、空気や風潮ができるのは「多くの人がそれが正しいと信じている」からなんですね。

どんな未来が理想か、だからどんな行動を今取るのか、そこんとこ、しっかり考えないとですね。