地方自治は詰んでいる…?

現代の地方自治体の役割とはなんだろうか?

地方自治は民主主義の学校」という言葉があります。住民が住民同士で自分たちの地域のことを話し合い、決定していく姿を指して言われた言葉です。
自分たちの事を自分たちで話し合う。それが地方自治の原点です。


そもそも住民とはなんでしょうか?
その市町村に住所を有する者でしょうか?数年前には「行方不明高齢者事件」、いわゆる「戸籍上は生きていることになっているけど、実際に姿が確認できない高齢者」が数多く存在するという事例もありました。
一方で、転勤族と呼ばれる人たちは、若いうちから数年スパンで住居を転々とし、そのたびに違う場所の住民になります。

さらには、都市部における人口の集中、インターネットによる対面によらないコミュニケーション、オートロックマンションによる門前払いなど、「住民」を正確に把握することは、ますます難しくなっています。それでも自治体は「住民」に対して行政サービスを提供する義務があります。

いち地方公共団体で働いてみて分かったのが、「地域づくり」に積極的に参加するのは高齢者か子供連ればかりということです。人口動態と比べたらよく分かりますが、20代から30代前半、とくに子供を持たない人たちの参加率が極端に低いです。
もちろん、平日は仕事等あるでしょうが、土日のイベントも同じです。

時間の余っている高齢者、学校という地域と切っても切れない縁を持つ子供のコミュニティ、それらに属さない人たちは他のことに時間を使っています。そんな世代が地方自治に参加できるのは選挙のみということになりますが、投票率はどの自治体も低いです。

首長や議会は、選挙で得られた民主的正当性によって動くのだから、高齢者福祉、子供関連の政策が重点的に行われます。やや高齢者よりですね。国の政策を見ると顕著でわかりやすいかもしれません。地方は、場所にもよりますが、子供を持つ親の力が国に比べたら強いところもあると思います。この記事でも書いたように、選挙で力を持つ人たちの方へ重点課題は流れていきます。それが、行政の「その場しのぎ」策の数々につながっているところですね。

例えば、自分たちのところで言えば、比較的楽にできる「職員の給与削減」は毎月のようにお知らせがきます。しかし「税収を増やす施策」についてはまったくと言っていいほど声が上がりません。何故なら、給与削減は単発でできる施策ですが、税収を増やす施策は多岐にわたり、しばしば「福祉を手厚くする」ことと相反するからです。


人口構成のバランスが崩れていくのが分かっているのだから、現状維持をするためには今より稼げるようにならないといけないわけです。2055年まで現在のGDPを維持するだけでも、生産年齢人口の一人当たりGDPは1.8倍に増やさなければなりません。*1
1970年代から2012年までの40年の伸び率とだいたい同じですが、国債残高を含む財政状況を鑑みると、現実的な数字とは思えません。現状を維持するだけでもこれだけの労力が必要なのに、現場を取り巻く声は「身を切る改革をしよう」だけです。もちろんそれも必要ですが、根本の一番大事な部分が抜け落ちてしまっているのが、今の国の状況であり地方公共団体の姿なのではないでしょうか。

その地方公共団体の未来予想図を描き、それを鮮明に住民に伝えていく。そして共感を得て、協力していくように促す。それがこれからの首長に求められることではないでしょうか。大阪が二重行政解消のために大阪都構想を掲げるのは、ひとつの始まりであり、地方公共団体のあるべき姿を考える上で重要になることは間違いありません。橋下市長には賛否両論ですが、都構想について大阪市民は選んだ、堺市民は選ばなかった、その判断が未来でどう評価されるか、他の地方公共団体はどういう道を選んでいくのか、分水嶺はまさに今なんじゃないかと思います。

ネット時代の地方自治

ネット時代の地方自治

*1:国立社会保障・人口問題研究所推計より