すべてはゼロをイチにするところこから始まる

先日発売された堀江貴文氏の「ゼロ」を購入しました。

ゼロ

ゼロ


高校時代、部活の顧問に「何事にも正しいやり方がある。カネのために手段を選ばずやっているとホリエモン村上ファンドのようになるぞ。」と言われていました。当時は、堀江貴文さんが何故強制捜査を受けたのか、村上ファンドが何をしたのか、そんなことを何も理解しないまま「悪いことはダメなんだ」という程度にしか捉えていませんでしが、心のどこかで「一連の強制捜査の流れは何かがおかしい」と思っていました。

それから数年後、堀江さんの著書『君がオヤジになる前に』を読んで、「この人は合理的に動いてる。だけど、それを説明するプロセスをはしょってるから、誤解されるんじゃないか」と思っていたら、今回の著書の第0章で同じようなことが書かれていて驚いたものです。


さて、そんな驚きとともに始まったこの本ですが、自分にとっては再確認の部分が多く、一世を風靡したホリエモンも、結局は同じ人間、ただちょっとだけ人より考えを行動にする力があるんだな、と思いました。
例えば「勉強は大人を納得させるツール」というのも-東大に行けるほど能力は優れてはいませんが-自分も使っていました。学校の成績が落ちてきて「実力テストで100番以上に入らないと部活をやらせない」なんて脅迫された時は、死ぬ気で頑張って170位から90位台まで順位を上げましたし、家で勉強している姿を見せなくても、合格判定模試の点数が上がっていってるのを見せるだけで、親は何も口出しをしてきませんでした。

思えば、ゼロに書かれていることのいくつかは、生活の中で学んでいました。受験勉強で「今日はここまでやりきる」という自分ルールを作っては達成して、着実に成功体験を積み上げていったり、学校で自分の趣味が人に通じなかった時に、Twitterを使って新たな世界に飛び出してみたり、という成功体験の積み重ね。

仕事には「楽しい仕事」と「つまらない仕事」があるのではなく、「仕事を楽しくできるか否か」という考えのもと、いかにいまの仕事を面白くできるか常に思考していること。


自分自身は、堀江さんのように多岐にわたる事業を手がけているわけでもないし、Twitterでフォロワーが何万人もいるわけじゃない。外部から仕事の話を持ちかけられることもなければ、自分の名前で仕事をしているわけでもない。

それでも、閉塞感は、ない。

この場所で働き始めて半年強、おぼろげながらこの場所で自分ができること、やりたいことが見えてきました。そしてそれは、壁が大きくとてもワクワクすることです。今まさに、足し算の最中だから、閉塞感を感じたりしないのだと思います。

堀江さんのメルマガを読んでいると、本当に掛け算の答えを求める質問が多いです。ボリュームの割に読んだ気がしないのは、ここら辺が関係しているのかなと思います。それだけの人が掛け算を求めているのを目の当たりにすると、自分が足し算の域にいるということが、幸せなんじゃないかと思えます。ネガティブな思考がぐるぐる回るほど暇でもなく、体を壊すほど他者に使われているでもなく、自分で自分の24時間を作っていけてる。そんな自信が自分を前向きにさせているのだと思います。

やろうと思ったことをその瞬間からやり始める。いつまでもそんな人生であり続けたいと思える1冊でした。