企業のブラック化は正しいのか?

企業のブラック化は正しいのか?

この記事は移転前のブログで2013年2月27日に書いたものです。

最近言論サイト「アゴラ」で以下のような連続した記事を見かけました。筆者の生島勘富さんは非常に炎上記事を書くのが上手くて、前回もアニメと犯罪の相関がどうとかということで炎上しており、今回も面白半分で見ていました。
しかし、なんかモヤモヤが抜けないのです。

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まず最初に述べておきたいのが、生島氏や山口氏の言い分は、ある意味では正しいということです。インターネットの普及、それによる世界の平準化は起きるものですし、営利組織である以上コストを限界まで抑えて利益を拡大化しようとするのは当然の行為です。

ところで企業の利益ってどうやって出てくるんでしょう?
簡単に言ってしまえば

利益=売上-コスト

ということになります。

利益=(原価+付加価値)-(原価+費用)

とも言い換えられますね。費用は、おおまかにモノにかかる費用と人にかかる費用の2種類あり、付加価値は一人ひとりの生産性×労働時間だと考えると

利益={(生産性×時間)-人件費}-物費用

生島氏や山口氏の言っている事は、1.人件費を下げること2.労働時間を伸ばすことの2つに集約されます。

たぶん感じた違和感はここにあります。生産性を上げることにはまったく言及していないんですよね。文字数の都合上、という理由で触れていないことを祈るばかりです。単純に考えて、競合相手より生産性が2倍あれば、賃金で勝負しなくても十分に戦える上に、高賃金をちらつかせて有能な人材を引き抜けますし。

そしてもう一つ。今回の記事で一番伝えたかったことが、産業革命から戦前あたりまでに繰り返されてきたことの焼き直しではないかということです。「日本の下層社会」という本には、日給賃金は大抵10時間25銭ないし30銭、しかし普通は夜業をし13時間ないし16時間働き1日50銭~60銭を稼がなければ、家族数人食べていけなかったことが書かれています。『工場労働者一般夜業を喜び、常に労働時間の長きを取るもの多き、また故ありというべし。』

まさに賃金をを抑えて長時間・低人件費という考え方ですね。しだいに労働争議が起こり、労使の戦いの末に今のような法律が作られました。このお二方が、と言う訳ではありませんが、ブラック企業を「悪いことではない」と考える人たちは、グローバル化を盾に先人たちが勝ち取ってきた権利を労働者から奪おうとしているのではないのか、私にはそう思えてなりません。

最後に、よく引用されるワタミの渡邉美樹氏の以下のやり取りに対する感想を書いて終わります。

ワタミ社長「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」
村上龍「?」
ワタミ「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」
村上「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」
ワタミ「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」
村上「?」
ワタミ「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」
村上「一週間」
ワタミ「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
村上「・・・んん??」
ワタミ「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」
村上「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
ワタミ「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」
村上「それこそ僕には無理だなあ」
http://tidirege.tumblr.com/post/18034280476

無理ということの証明をするには、1週間全力でやってそのまま死ぬしかないんですね。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかくやった結果命を落とす。それが唯一「無理の証明」になります。無理の証明をして死ぬか、一介のおじさんに「嘘つき」呼ばわりされて生きていくか、どっちを選ぶかと問われれば、私は後者を選びます。結局そのおじさんも、環境を改善してくれという要望すら達成できない「成長と待遇の同時成立」を無理だと諦めてしまっている自己矛盾を孕んだ存在なんだから。