地方公務員に年功序列の廃止なんていらない

昨今、といっても、もう長い間言われていますが、「年功序列の撤廃と成果主義の導入」が叫ばれています。

景気が低迷する現在の状況。高度成長期に形成された年功序列の賃金カーブをやめて、成果主義にすることで、能力のある人ほど活躍できる場を作るということですね。
公務員にも能力評価を導入しろ!年功序列を撤廃して公務員のやる気を出させろ!なんてのは、よく言われていますね。言うのは簡単ですが、本当に必要なのでしょうか。

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そもそも、地方公務員に求められることってなんでしょうか。多くの人が「その市町村の振興の動力となる」と答えるんではないでしょうか。

一概に地方公務員といっても、その仕事はさまざまです。国の法律で決まっているもの(税金等)を扱うところ、条例などで決められたその市町村独自の(地方税など)ものを扱うところ、土地に関すること、観光やお祭りを実行するところ、学校関係。

どれをとっても、キーとなるのは「地元住民との接触」です。税金を円滑に回収するために住民に懇切丁寧に説明する、子育てになやむ両親の話を聞き、それに応えられる解決策を提示する、お祭りを開催するために協賛金等、地元企業や商店街の協力を得る。どれも住民との折衝能力が問われます。

総務省の統計によると、団塊世代団塊ジュニア世代の65歳前後と40歳前後がボリュームゾーンになっています。若者が都市部に流れていることを考えると、地方における40歳以上の力は大きいものだと考えられます。

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いつの時代も、若者は年長者に未熟者として扱われます。一説によると「最近の若者は…」という言葉は、古代エジプトから存在していたとか。

国会議員や地方議員の年齢を考えるとよく分かります。彼、彼女らは、若い頃から選挙の基盤となる地域に顔を出し、名前を売り、ある程度以上の年齢になると認められ、選挙に受かる。

地域とは、そういう村社会の集合体です。議会で居眠りをする議員が選挙で選ばれるのも、不正をするような議員が選ばれるのも、名前と顔を売ることが大事な村社会では「自分たちによくしてくれた」人を選ぶのは当然だからです。

そして「名前と顔を売る」には、何よりも時間が必要です。時間をかけて売り込み、覚えていってもらうわけです。

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地方公務員も同じ村社会です。時間をかけて名前と顔を売り込み、円滑なコミュニケーションを取れるようにならないと、地元住民との折衝はうまくいきません。

また、高齢者が多い地域では「若いころの話」が、よく話題にのぼります。地方公務員になって驚いたことのひとつですが、40代以上の人間が多いせいか、10年前や20年前の話が普通に日常会話に出てきます。「その話の時代、私生まれてませんから」なんてのもザラにあります

そんな人たちを折衝をするにあたって、20代、下手したら30代の「若手」では話にならないのは火を見るよりも明らかです。

地方公務員で「役に立つ」人間を育てるには、若い頃から(無意味にも思える)お祭りやイベントに顔を出し、ひたすら報われない数十年を過ごさせ、その間に名前と顔を売らせるしかありません。

そう考えると、年功序列の廃止なんてもっての外です。年齢が上がると報われるという保証がない限り、ひたすら名前と顔を売る日々の繰り返しを好んでやる人なんて少ないと思いますし、廃止したところで客観的に能力の若者には、地方公務員としての能力はありません。

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ではどうすればいか。

そういった現実を受け入れ、今の体制のまま、持続不可能な時まで維持に務めるか。
現体制を放棄し、若者による新たな村社会を(既存の村社会とは交わりにくいところで)作るか

それとも、一人ひとりが「既存の村社会」依存を辞めるように動くか。


どの選択肢を選ぶかが、その地方が今後どうなっていくかの明暗を分けるようになると思います。

公務員の残業について

先日、自分の所属する課の残業配当時間の残りが僅かであることが発覚しました。

残業配当時間とは「○○課は年に△△時間まで残業していいですよ」という、人事担当課からのお達しのことです。これは繁忙期と閑散期でうまく割り振りながら使っていかなければなりません。

公務員の残業代は青天井だと思われている方が多いかもしれませんが、それ相応の理由を説明できなければ、残業代の天井は決まっているのです。

さて、残業の配当時間が残り僅かということは、所属長は当然次のような命令を職員に出します。

「残業をするな」

はい。当然ですね。きちんと部下を管理して、仕事を遂行するのは長たる者の勤めです。配当時間を守るために、残業禁止令が出ます。

しかし、部署に寄っては、夜の会議が多いところがあります。残業はできない。でも夜の会議には出なくてはいけない。では、どうするか。

ここで「時差出勤命令」というものが登場します。時差出勤とは、簡単にいえばフレックスタイム制の劣化バージョンというところです。
職員は自由に勤務時間を決められません。「夜の会議に出席するために今日は出勤時間を遅くします。」というように、決められた範囲でしか動かせません。

個人的には次の日に早く帰りたいのですが、それは「振替」になってしまうからダメだということ。

振替とは、読んで字のごとく「休日出勤をした際に、平日に休みを振り替える」ということです。ところで、休日出勤の振替は基本的にその週に取ることになっています。土曜日に出勤するなら、出勤日以前の月~金に、日曜日に出勤するなら、翌日以降の月~金に、といった具合ですね。振替を取るのが遅れてしまうと「振替割増」という残業代が発生します。週の勤務時間が40時間を超えるために、振替を取っても一部の残業代は手に入るという仕組みです。

さて、冒頭に「残業代の配当時間が決まっている」と書きました。振替は残業時間計算に含まれるので、管理職の方々は結構頭を悩ませているようです。
繁忙期に休日出勤が重なって、きちんとした日に振替が取れないことがままありますが、そんなとき「記録上はちゃんとした日に取ったことにしてくれ」と頼まれます。どう対応しているかはご想像にお任せします。実際どう対応しているのか聞かれても「そんな命令には応じていない」としか答えられませんからね。


そんなこともあって、時差出勤の時に「翌日に早く帰らせてくれ」と頼んでみました。

「時差出勤はあくまで職員の健康上の事を考えてのことだ。だからその日にしか時間変更は認めない。」

だそうです。うーむ、なんか納得がいかないぞ……。

もうちょっと制度に柔軟性が欲しいなぁと思う出来事でした。
さて、今月から(記録上は)残業できませんので、アフター5を楽しみますかね。

地方公務員はマイルドヤンキー?

さて、地方公務員とマイルドヤンキーとの繋がりですが、項目別に見ていきましょう。

1.市長や議員など選挙で選ばれる公務員
2.副市長・参事・部課長など役職を持った一般公務員
3.重要な役職にはついていない、一般的な公務員


1.選挙で選ばれる公務員

市長や町長、議員(以下議員等と表記)は、選挙で選ばれるためには票を獲得しなけれななりません。議員等はその票を獲得するための地盤として、市内各地域に影響力を持っている場合がほとんどです。
影響力を持つために彼らがやっていることが、集会所での勉強会、市政に関する相談会、地域に有利になるように金や事業を引っ張ってくる、地域の祭りに顔を出すなど。特別職非常勤公務員の副業は禁止されていませんから、議員の一部は実家で自営業をやっている場合もあります。
若い頃は当該地方公務員として働き、リタイア後に議員に立候補するというケースや、県会議員として地域を代表して出ていき、任期が終わった後に市議や市長として戻ってくるというパターンもありますね。

選挙で継続的に票を獲得するためには、継続的にその地域に住む人たち、そしてその地域(というより人間関係としてのコミュニティ)に愛着を持っている人たちからの票を獲得しなければなりません。その対象がマイルドヤンキーです。

マイルドヤンキーの特色には『地元志向で、地元から出たがらない』『何よりも「地元」の友だちを重要視する』というようなものがあり、強固な繋がりを作ることができれば、世代をまたがってマイルドヤンキー層の支持を手に入れることができます。


2.役職に就く一般公務員

最近では血縁地縁での役職抜擢はほとんど聞かないですが、団体との交渉が多かったり、地元土建業と関わりがあるような部署では、地域に根ざした顔があるかないかで、仕事の難易度が大きく変わってきます。そういった部署では、地元から出たがらない、地元のコミュニティを大事にする人がポジションに就く場合が多いです。癒着とは違いますが、地元団体や土建業は、マイルドヤンキーのコミュニティがそのまま業界に持ち込まれていますので、こういったものに親和性がある人じゃないとやっていけないんですね。

就職に関するコネもそうですね。教え子の就職のために先生が各方面に声をかけたり、知り合いのために議員が声をかけたりというのは、ままあります。それは、紹介する側がその地域に根ざした信頼があるからこそできるものであって、"よそ者"にはできません。そしてこのコネも"地元"でロンダリングしていきます。
一応保身のために書いておきますが、ここで言うコネとは、公務員になるためのコネではありませんよ。地元企業に紹介するというコネです。公務員になるためのコネはあったとしても、昨今の世論です。表には出てきませんので、私には分かりません。


3.平公務員

3項目の中では1番マイルドヤンキー比率が少ないです。就職人気業界に公務員が上位に現れるとおり、公務員になりたいという人間はわんさかいます。中には「公務員になれれば場所は問わない」なんていう人も。市役所採用者に占める市外在住比率も、聞くところによると半々くらいということも。マイルドヤンキー層、いわゆる地元に根ざした人たちは、近所の目もあり、公務員になると喜ばれ、不祥事でも起こさない限り辞められないという側面もあります。


イメージとしては、地方公務員は大勢の採用者がいて、そこから職務遂行の能力は前提として「地元との親和性」という観点からふるいにかけられるようなものですね。全部が全部というわけではありませんが、地元ロンダリングの比率はかなり高いです。


先日、ふと「地方公務員にはなったけど、なんか地元に絡め取られるのは嫌ですね~。あんまり縛られすぎないで生きたいです。外との繋がりは持っていたい。」とつぶやいたところ、ある先輩公務員(50代)に言われました。

『それは違うんじゃないかな~。地域の祭りに顔を出したり、地域の人たちと良く付き合っていくことで、自分が地域の人達に必要とされる人間になれたら、それは公務員冥利に尽きるんじゃないかな。』

これを聞いて、何を思うかは各人にとって違うでしょうが、その通りだと思う人とそうでない人の見える景色は全然違うでしょう。得てして地方公務員にはこんな考え方の人が多く集まります。それが良いことか悪いことかは別にして。

「地元」にこもるヤンキーたち

久々に衝撃的な本に出会いました。

地元に根付き、地元から離れないヤンキーたち。
ここでのヤンキーとは、中学時代の仲間とつるみ、新しい交友関係を広げようとせず、半径5km以内で生活が完結する人たちの事を言います。見た目や中身は変遷してきたものの、その根本は変わりません。
そして、ヤンキーは今、マイルドヤンキーに変化して、それぞれの「地元」でコミュニティを作っている。その消費性向に大きなチャンスがあると考え、100人を超えるマイルドヤンキーたちにインタビューをし、現在のヤンキー-地元から離れない若者たち-の実態を調査しようとした本です。

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まず、本書で重要なキーワードとなる「マイルドヤンキー」の特徴を見てみましょう。

・地元志向で、地元から出たがらない
・大きな夢もなく、今の生活が続けば(あわよくば給料が少し増えれば)満足
・何よりも「地元」の友だちを重要視する
・比較的ITに弱い
EXILE浜崎あゆみ等の「ヤンキー性」のあるアーティストが好き
・安定志向

以上のような特性を持っており、すべての生活を半径5km以内で済ますためには(きっと本人たちは意識していないと思いますが)努力を惜しみません。

若者が消費しなくなったと言われる世の中で、他の同世代の人間よりマイルドヤンキーは比較的消費をします。友だちと一緒に乗れる3列ミニバンを購入したいと考えたり、一軒家を購入してようやく一人前という認識があったりと、大きな買い物でも、それが地元で暮らしていくためのものなら厭いません。

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特に驚いたのは、ITへの向き合い方と、狭い生活圏内です。

インタビューを受けたマイルドヤンキーの1人は、渋谷から20分とかからないところに住んでいるのに「いつかは東京に出たい」と言うのです。そんなに近い距離に住んでいても、「地元」と「地元じゃないところ」は明確に分かれていることに驚きを隠せません。しかも、東京に出たいと言う人は少数で、多数派「地元から離れたくないし、結婚しても相手が地元に来てほしい」と考えています。移動ももっぱら車で、電車は使いません。(理由は本書に書かれています)
IT、とりわけSNSの使い方を見てみると、これも内輪の閉じた世界で完結しており、「自分の近況報告を内輪で共有する」ために使っている人が多数でした。いわゆる「バカッター」事件も、起こした本人がマイルドヤンキーに分類されるかは不明ですが、こういった「内輪の繋がりの延長線上のSNS」という使い方が引き起こしたのではないかと言及しています。

私は、中高生時代から地元、隣駅、電車で30分程度離れた駅を生活圏内にしていました。SNSも、まだ見ぬ誰かと知り合うために使い始めました。マイルドヤンキーになれない自分が如実に現れています。

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さて、何が1番衝撃的だったかというと、自分の地元にもまったく同じ「マイルドヤンキー」のコミュニティがあるのです。しかも、そのコミュニティに自分もよく誘われ、(内心嫌々ながら)参加しています。

本書を読みながら、自分が感じていた嫌悪感が具体化されていき、気分が悪くなるほどでした。

その嫌悪感の正体は「半径5kmの閉じた世界で過ごしたい」と考えるマイルドヤンキーたちの考え方が、根本的に受け入れられないことにありました。

例えば、小学生の頃から実に10年以上好きなアーティストがいますが、そのアーティストの話を出来る人が半径5km以内にはいませんでした。中学生の頃は、友人たちとカラオケに行くためだけにORANGE RANGEケツメイシの曲を聴き、友人たちとの付き合いのためだけにラップの練習をしました。でも、そういった曲は好きになれない。だから、生活圏を半径5kmの外に広げなければなりませんでした。
そうやって外の面白い世界を見てしまうと、地元に閉じこもっているのが、いかにもったいない事なのかと思い知り、ますます「いつメン」の輪に入りづらくなります。

どうして、こんな狭い世界で楽しく過ごせるのか。どうして、もっと面白い世界を見に行かないのか。
きっと、そんなところに嫌悪感を感じていたんだろうと思います。



それらを理解してハッとしたとき、地方公務員もまた、マイルドヤンキーと根深く関わっていることに気付いたのです……。

好きで、幸福を感じるなら、やらざるを得ない

好きなことを仕事にするべき。好きなことを仕事にしないべき。

ネット、テレビ、井戸端話、場所を問わず人々の議題にされてきたことですが、そんなことどーだっていいんです。

人生とは、突き詰めて考えてみれば、自分が自分の時間を何に投資するかというゲームであり、そのプレイスタイルも一人ひとり違うものだからです。労働をお金を得るための手段と考えるならば後者を選ぶし、モチベーションを保って続けていきたいなら前者を選ぶ。「プレイスタイル」は言い換えれば「価値観」ということだし、相容れなくて当然のことです。

ただ、「やっていて幸福を感じるような好きなこと」を我慢して何かをするということは大間違いです。親から無理矢理始めさせられた習い事より、自分でやりたいと言い出した習い事の方が長続きするように、人は内発的な動機付けで動く方が力を発揮できます。なのに、無理して嫌なことを続けてみては、飲みの席で愚痴をまくし立てるような人は、「自分でやりたいことがありません。見つける気もありません。」と言っているようなものです。そんな人たちが権力を持っているのが、古きよき企業です。

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しかし、人生そう簡単ではありませんよね。大部分の人が実感しているでしょうが、自分のやりたいことなんて見つからないもの。それが早い時期に見つかって、なおかつそれがマネタイズしやすいものであれば、ものすごい幸運です。そんな人は極少数。やりたいことがお金を使うだけであったり、そもそもやりたい事が見つからない人が大半です。

やりたいことが見つからないと言う人は、とにかく何かに手を出してみることが大事です。音楽がいいなと思ったら数万円のキーボードやギターを買えばいいし、利用してるアプリがかゆいところに手が届かないと思ったらJavaScriptのテキストを適当に買ってコードを打ち込めばいい、働かない生活をしようと思えばアフィリエイトなどで月数万円~数十万円稼ぐために試行錯誤すればいいし、小説を書きたければネットに公開すればいい。

なんとなく始めたものに、自分の才能の向かう先があるかもしれないのですから。

最大の障害が貯蓄文化。例えば、地方公務員として働くことになれば、まず間違いなく共済貯金という強制貯蓄の制度を勧められるし、貯蓄は大事というありがたーいお言葉もかなりの頻度で聞きます。

10万円を貯蓄に回す事を考えたとき、金利が0.1%なら(物価の変動を考えなければ)10年後に101,000円になるということです。それはつまり、10万円自分に投資して20万円や30万円に増やすというチャンスを捨てるということに他ならないのです。

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「投資した10万円が無くなるかもしれないだろ!」という批判が聞こえてきそうですが、そういう人はずっと貯金していればいーです。冒頭にも書きましたが、結局は価値観の違いなんだから、自分がこの方向だと思う方に勧めばいいんです。期待値を考えるとどっちの方が得ですか?とは言いたいですけどね。

人生のリターンは「幸福」であり、それも人それぞれ。ゴールの形はそれぞれ違うけど、今自分がやりたいことをやっているような人は、そうでない人に比べて幸福を得やすいんではないかと思います。ついでに、自分でやりたいことがはっきりしてて、それを実行している人のほうが、一緒にいて楽しいです。自分と関わりあいのない人がつまんない生き方をするのは勝手ですが、自分は面白い人と一緒にいたい。面白いと思える人は、好きで幸福を感じることを、どんな障害があっても続けているんです。不思議ですよね。

生き残る道はひとつしかない

人口を増やす。付加価値を生み出す人を、増やす。

最近地域のいろんなイベントに参加していて感じます。どこのイベントも子供連れかお年寄りしかいない。

以前にも書きましたが、地域と切っても切り離せない義務教育中の子供を持つ家庭と、時間を持て余しているお年寄りは、比較的地域の行事に参加します。地域の行事に参加するというのは、どれだけの人が地域に根付いているかを計る指標になりますが、本当に20代~30代前半の人たちの参加が少ないです。そして往々にして、この年代の人たちが、新たな革新を起こし、付加価値を生み出していくことが多いです。

今まで参加したり主催してきたイベントたちは、決してつまらないものではないですが、面白いと呼べるものは決してありませんでした。仕事や趣味人生の中で、一番大事な時期を過ごしている20代~30代の人たちは、本当に腹の底から共感できたものでないと、こういったイベントには参加しないものです。

ここの共感というのがポイントなのですが、子供連れの家庭が子供連れの家庭同士で仲良くするのと同じように、お年寄りがお年寄り同士でつるむのと同じように、若者は若者同士で'共感'します。地域のイベントに若者を定着させようと思ったら、まずは若者を増やすところから始めなければなりません。


つまり「若者が参加できる地域行事を!」なんて言う前に、別の方面で20代~30代の人口を増やす方法を考えなければならないのです。


手っ取り早い(というと語弊がありますが)のは、企業誘致なんですよね。企業のある街が魅力的であればあるほど、通勤時間は少なければ少ないほうが良いわけです。鎌倉なんかそうですよね。


そうやって、人が増えていけば、自然と輪も広がっていき、賑わってくる。そんな好循環が生まれればしめたもんです。


企業誘致のための方法、もとい、企業がそこに来たくなるような街づくりが求められています。そして、何を武器にするかが自治体の選択であり、分かれ道であります。何をもって他の地域と差別化するか、お金がない今、ハード面ではなくソフト面で考えていかなければなりません。あるいは国から税の権限の移譲を勝ち取らなければいけないのか。選択肢は数多くあります。ただ、時間がない。取り返しのつかなくなる前に選択をしなければならない状況である今、首長や立場の強い人はリスクを取って行動しなければなりません。若い人たちは、腰の重い「権限を持つ人」を焚き付けなければなりません。いずれにせよ、決断が遅いところは波に飲み込まれます。間違いなく。

縦割り?横断的?

行政組織を批判する定番のひとつとして「縦割り行政」というものがありますね。それぞれの所管がそれぞれ権限を持っているから、横の繋がりを持とうとせず、情報を集め、権限とカネを独占しようとする。サービスの受益者はたらい回しにされ、手続きが七面倒臭くなる。とまあ、そんな感じでしょうか。


でもね。縦割り解消しろなんて無理な話なんですよ。

基本的に窓口業務はスペシャリスト集団であるべきなんですよね。市民税に関することならなんでも任せろの集団、保険年金関係を任せろの集団、生活保護関係は任せろの集団。それぞれ制度が複雑すぎて、他分野に渡って知識を蓄えようとしたら何年かかることか……。

もし横断的な組織を作ろうとしたら、『すべての窓口ですべての申請を受け付けます。だけど調べるのに時間かかるから長時間待ってね☆』なんていう結果になってしまうかもしれません。


では、すべての所管で縦割りじゃないといけないのでしょうか?そうは思いません。

例えばまちおこしのイベントとか、未利用土地の開発とか、いわゆる事業系と呼ばれる部署が行っている仕事は縦割りだと都合が悪くなってしまいます。

ある未利用の土地があって、そこで何か有効活用できないか?という問題があったら、ある部署ではスポーツ施設を作りたいと言い、ある部署では歴史を展示する場にしたいと言い、ある部署では農地にしようと言い、ある部署では民間に払い下げようと言う。まず、どの方向性で行うかを決めるだけで、ある種戦いになってしまい、無駄な労力が消費されてしまいます。

こういった事業系の仕事に限り、「横断的なチーム」は力を発揮するでしょう。

そしてチームの構成に入るとき、部長級や課長級を筆頭にチームが造られることが多いと思います。これも落とし穴ですね。課長の仕事はその課の長として課員を監督すること、部長の仕事はその部の長として部員を監督すること。横断的なチームは部署に関係なく構成されるわけですから、本来の仕事から逸脱してしまいます。横断的なチームを作るときは、部や課に大きな権限を持たない、多くの場合は平社員のような立場の中からリーダーやメンバーが選ばれるべきです。もちろん、課長や部長との折衝も必要になってくるでしょうから、ある程度経験を積んだ胆力のある人でないといけませんが。


こうやって集められたチームは事業が終わるごとに解散し、また別の事業を別のメンバーで行う。そうやって既得権益化しない仕組みを作って、ようやく横断的なチームが機能するわけです。実行部隊であるチームが作られては消えるわけですから、全体の方向性を決めるチーム(これは解散しない。また全ての所管から独立する)も設置しなくてはいけませんね。


まとめると、縦割りの弊害をなくすために横断的なチームを作る場合は、

1.縦割りじゃないといけない業務と、そうでない業務の見極めをし
2.課長や部長といった所管に大きな影響力を持つ人間を中核に据えずに
3.事業ごとに作っては解散するような仕組みを取り入れた

組織づくりをしなくてはいけません。


…と、ここまで読んだ皆さんなら気付いていると思います。これってクラウドソーシングと根本は同じだよね。